1996年11月18日月曜日

インフレを考える

1996.11.18

FRBの金融政策に関連してかなり突っ込んだ議論が繰り広げられている。アメリカの景気を過熱気味と見るのかどうか、われわれが使っている経済指標は信頼できる指標なのかにまで踏み込んで議論されている。以下、その議論の内容と政策インプリケーションを説明する。
1. 成長重視/金融緩和論者

消費者物価指数は実際の水準より高めに出ている(実際のインフレ率は統計数字より低い)、また、生産性上昇率は実際の上昇率より低めに出ている(実際の生産性の上昇率は統計数字より高い)。よって現実のアメリカ経済の供給力(潜在成長率 )は考えられている以上に高い水準にあり、インフレの危険性は見かけよりも少ない、との主張である 。

この主張は、FRBは金融緩和を行い、もっと高めの実質経済成長率を目指すべきである、それをやってもインフレにはならないとの議論につながってくる。FRBのグリーンスパン議長もこれに似た考え方を持っており 、結局FRBは、金利の引き上げ、金融引き締めは必要ないとの判断になった。

統計が実態と乖離しはじめた理由は、1)製品やサービスの質の改善が物価統計に十分反映されないこと(コンピュータの価格の例 )、2)低価格品(ディスカウント店)への消費者の好みのシフトを物価統計が捉えきれない部分があること(西友物価指数の例 )などとされている。

大きな背景には、経済のグローバル化があるとされる。安い輸入品が幾らでも入ってくること、安い輸入品との競争で国内生産物の値上げがやりにくいことなど。また従来、製造業の設備稼働率が80%を超えるとインフレの危険性があると言われたが、経済のグローバル化に伴い、単なる一国ベースの設備稼働率は意味が無くなってきていることも事実である 。「インフレは死火山となった 」という極端な主張もある。

2. この議論の問題点の指摘

この議論に対してはいろいろ反論が出されており、なかでもポール・クルーグマンが繰り広げたエコノミスト誌の論文 が注目される。

すなわち、確かに物価の測定は難しく、実際の水準より高めに出ていることがあるかも知れない(実際にどの程度高めに出るのかは別にして)。そのため実質生産性の推計も実際よりも低めに出ているかも知れない。(名目のアウトプットを物価水準でデフレート(割り算)して実質生産性上昇率を計算するから)その結果、潜在成長率も従来考えられていた以上に高いかも知れない(言われている数字「2.5%」以上であるのかも知れない)。

しかし、もし現在の物価統計が高めに出ているのであれば、現在の実質経済成長率も実際より低めに評価推計されていることになる。(名目の成長率を物価水準でデフレートしたのが実質成長率であるので、物価がもっと低いというのであれば現在の成長率はもっと高いはず)すなわち成長重視論者が主張する「高めの成長率」は“現時点で既に”実現していることになるとの主張である。

また物価水準にしても、たしかに「質」が問題であるが、現実に質の向上、安物へのシフトを具体的にどう反映させるのかは難しい問題である。「安物」はやはり「安物」であり、安物へのシフトは消費者がこれで辛抱させられているということでもある。「質」の向上も生産者の立場に立った主張であることが多く、消費者に本当にそれが評価されているかどうかは別問題であると思われる。

グローバル化の問題だが、輸入がGDPに占める割合は13%にしか過ぎない。付加価値の60%以上 、雇用の75% が非貿易財(サービス、政府業務、建設)で生み出されている。現実に、米国にとっての最大の貿易相手国である日本の93年から95年にかけての大きな円高にも拘わらず、米国の物価水準は上昇しなかった 。グローバル化は言われているほど国内物価に影響を与えない。(日本の内外価格差も解消しない)

3. 物価安定至上主義(ゼロ・インフレ論)について

各国の中央銀行はインフレは「絶対の悪」との考え方を「建て前」としている。インフレは自由経済で一番重要である市場の価格メカニズムを破壊する。インフレの中では企業は市場からの価格のシグナルを探知することが難しくなり、経済の価格メカニズムが正常に機能しなくなる。また供給面を捉えても企業の前向きの技術革新や生産性向上による小さな利幅上昇がインフレの中で埋没することで企業努力を無意味なものにすることになると主張する 。

しかしそうは言っても何がなんでもインフレをゼロにすべきだと言うのは現実的ではない。「ゼロ・インフレ」は望ましいものの、それを追求するために払わねばならないコストは膨大であり、マイルドなインフレのコストよりも大きい可能性がある 。さらに賃金の下方硬直性を考えれば、マイルドなインフレ下での方が、産業間の賃金水準の適正化がやりやすい 、ということもある。

4. 結論的に言って

ドグマティックでない現実的な対応が望まれる。FRBも建て前は別にすると現実の政策ではマイルドなインフレはある程度容認していくような現実的な政策を採っているように見える。

「インフレは死んだ」と断言するのは未だ早い。ただ経済の構造変化が従来のクライテリアを変化させていることは事実である。最適の失業率とインフレの組み合わせ、設備稼働率とインフレの組み合わせ、また潜在成長率の数字自体も、新しい現実に合わせて推計していくことが必要となっている。 

1996年10月2日水曜日

日本経済の現状と今後の総合商社の役割について


1996.10.2

I.歴史の転換点に立つ日本経済
○日本経済は歴史的な転換点に立っている。これは産業革命や、第一次世界大戦後の日本経済の混乱に匹敵するような節目である。この変化は1990年代に入ってから始まったものだが、いまはほんの序の口であり、この混乱は今後まだまだ続く。21世紀にかけては変化の時代となる。

○さらに、現代は変化のスピードが加速されている。古代は1000年ごとに時代の節目がめぐってきたとすると、中世ではそれが500年単位となり、近世では100年ごととなった。戦後の日本経済では、20年単位で節目といえるような大きな変化が発生している。時代の目盛りが「普通目盛り」から「対数目盛」に変わったかのようだ。

○今まで危機や不況は何度もあった。そのたびに日本経済は工夫してそれを乗り越えて新しく発展してきた。今回もこれまでのように辛抱して頑張れば、やがて明かりが見えてくることに期待できればよいのだが、どうもそういうことはないようだ。いま起こっていることは循環的な変化ではなく構造的なものだ。従来のような循環的な状況の好転は期待できない。構造的な変化、調整には、つねに痛みや摩擦がともなう。この痛み、摩擦は来世紀にかけて長く続くことになる。

○しかし一方で、変化はチャンスである。変化にともなうビジネスチャンスも今後長期間にわたり存在することを忘れてはならない。プラス面とマイナス面、攻める面と守る面の二つの「正面」で、われわれは変化に備える陣を布かねばならない。

II.構造変化の方向性

○大変な時代ではあるが、先行きの方向性が不透明で見えないということはない。むしろ今後の日本経済が進む方向ついての一致した見方(コンセンサス)が定着してきている。すなわち、1)世界経済のグローバル化、ボーダレス化にともない、世界は地球的規模の大競争の時代に突入すること、2)この大競争の時代には、国境を越えた産業の再編成が否応なしに進むこと、3)従来、有形・無形の手段(規制や取引慣行)で自由競争の荒波から保護されていた効率性の低い産業は、規制緩和による市場の自由化、透明化を通じて鍛えられ、淘汰されること、4)経済の新たな発展のためには創造性に富んだ新しい産業が輩出してくる必要があるが、そのためには規制緩和を通じて自由で透明な競争社会の構築が望まれているということ、などである。これについてはコンセンサスが形成されているのではないか。

III.構造調整の諸問題(強者と弱者の二極分化、不平等、摩擦)

○でもこのような変化の時代、転換点においては、社会的、産業的な調整の痛みが発生する。なかでもこの大競争の時代においては、競争への参加者の数が段違いに増えるために、強者にとってはこの上のないチャンスであるが、弱者にとっては非常に惨めなものとなる。先進国の弱小産業や特別な特殊技能を持たない労働者は、発展途上国の競合産業、労賃の安い労働者とスクラッチで勝負しなければならない。中国の旋盤工とインドのプログラマーと同じ土俵で勝負しなければならないのである。社会は、競争に勝ち残る強者と競争に敗れる弱者に二極分化が進むということが予測される。

○現に、いち早く80年代はじめから規制緩和を進めたアメリカにおいて、富裕層においては所得が増加し、貧困層の所得が低下するという二極分化現象が進み、社会問題となっている。欧州においても経済のグローバル化が先進諸国での高い失業率をもたらしたと議論されている。

○そのなかで勝ち残るためには、企業も、国民も、それぞれのレベルで、変化への適応力と競争力の強化が期待される時代になった。天は自ら救うものを救うという自己責任の時代になってきた。はっきりいって嫌な時代である。

○このような社会の構成員どうしの苛烈な競争は、ムラ的な平等社会に慣れ親しんできた日本人にとってなじみのないものである。日本産業の強さの秘密であった「社会的一体感」を壊してしまうかも知れない。当然、いろいろなところで抵抗が発生するので改革は一直線には進まないだろう。三歩前進、二歩後退といったかたちでぎくしゃくしながら、同時に時間をかけながら、進んで行くのだろう。よって「変化の時代」は当分続くのである。

○しかしメガトレンドとしては、日本型システムの良さを残すべく努力は払われるにせよ、やはり日本社会はこのような方向に(普遍的な方向に)進むだろう。アメリカ型と日本型システムは、どちらかといえば現在のアメリカ型に近い位置に収斂することになるのではないか。この方向性には、ほとんど間違いはないだろう。よって当分、日本経済は苦しい調整の時期を経験することになろう。

IV.その中で日本企業はどう動くか(企業経済と国民経済の「ずれ」)

○しかし日本「企業」を考えると必ずしも悲観的に考える必要はない。いまの時代は、一国の経済の盛衰と、その国の企業の盛衰とが、必ずしも100%合致しなくなっているのである。昔は企業は国旗を背負っていたことが多かった。「GMにとってよいことはアメリカにとってよいことだ」といったGM社長が居たり、日本でも商社マンは「お国のために外貨を稼ぐのだ」といって仕事に邁進した。徐々にそういうことはなくなりつつある。もちろん、まだまだ日本経済全体の利害と日本企業の利害がオーバーラップしている部分のほうがはるかに大きい。しかし、いまやそのオーバーラップ関係に微妙な「ずれ」が生じているのである。

○1980年代、「アメリカの企業はアメリカ国籍を捨てたおかげでよみがえった」といわれる。今後多くの有力日本企業が、日本の国籍のしがらみを捨てることで、グローバルに世界企業として発展することになるだろう。すなわち、日本経済全体としては、ここ当分、低迷が続くにせよ、「日本企業」としては、実力さえあれば、グローバル展開を通じてこの大変化の時代をうまく乗り切ることが可能な時代になっているのだ。

○現に、トランスプラントやリストラを通じて日本の輸出型製造業の国際競争力が急速に回復してきているとの報告もある。この場合、回復しているものはグローバルに成長した「日本企業」の競争力であり、日本国内の工場の競争力という意味では必ずしもない。日本経済は低成長が続くにせよ日本企業の成長力はけっこう強いのではないか。

○また産業空洞化とはサービス関係の新しい産業に比重がシフトして行くことを意味するし、高齢化社会を迎え巨額の日本の貯蓄超過を如何に効率的に運用するかが大きな課題となろうし、金融サービスの発展することは確実で、金融サービスが成長すると付随する情報サービスが発展することはシティーの歴史が示しているし、製造業以外の新しいソフト産業が力を付けてくるであろう。

○歴史を紐解くとこのような事例は多々見つけることが出来る。19世紀から20世紀にかけて、自由貿易と巨額の対外投資の流出でイギリス経済はいわゆる「空洞化」を経験するが、イギリス「企業」はグローバルに大きく発展した。先にもいったが1970ー80年代のアメリカ企業はグローバル展開でよみがえった。21世紀にかけて日本経済は成熟期を迎えるが、実力のある「日本企業」はグローバルに、まだまだ右肩上がりの成長を続けると思う。

○今後、「日本国」という経済単位と、グローバル化し本社部分は頭だけになったダウンサイズ化された「バーチャル企業」となった日本企業の利害関係が必ずしも一致しないことが起こる。しかしそれも、「日本国」そのものが徐々に「頭だけを持ち体を持たない」という「バーチャル国家」となるにつれて、企業のインタレストと国益が再び合致するようになるのかも知れない。

V.そのなかでの総合商社の役割

○このような客観情勢の中での総合商社の役割は、どのようなものとなるのであろうか。どうも、このような客観情勢は、総合商社のビジネス環境としては、決して悪いものではないと思う。むしろ総合商社の活動に大きな追い風が吹いているのではないか。

○まずグローバル化によって著しい世界貿易の増加がもたらされている。この数年の世界貿易量の推移をみると、世界の国内生産量を大きく上回る伸びを見せている。経済のグローバル化による当然の結果であり、この傾向は今世紀から来世紀にかけて続くものとみて間違いはないだろう。グローバル化の時代はすなわち貿易の時代なのである。貿易業者にとっては追い風が吹いているのである。

○同時に、グローバル化の時代は地球的規模での産業再編成の時代でもある。最適立地を求めて各国の製造業者は積極的にトランスプラントを実施することになる。そうすると、その部品、製品について、取引関係を新しいかたちで再構築する必要が出てくる。即ち、新しい企業間の取引関係を、一から開発し、さらに安定的なものに育成して行かねばならないというニーズが、世界のあらゆるところで発生するのである。このような安定的な企業間の取引関係の開発と育成(セットアップ)は、その情報機能とあいまって、企業間のマッチメーカーである日本の総合商社の「十八番」藝といえる機能である。総合商社の中核的機能に対して世界的にニーズが高まっているのである。

○このような情勢判断のもとに、わたしは総合商社にとって来世紀まで続く「攻めの時代」が到来したと認識している。変化の時代には「身軽さ」が強みとなる。総合商社は、このグローバル化の時代に主流となっていく、頭だけで体を持たない「バーチャル企業」にきわめて近い存在である。総合商社は、そのアセットと身軽さを生かして、グローバルに「攻める時代」に入ったと思う。

○当然のことであるが、「チャンス」は「リスク」でもある。グローバルな事業運営は、従来と比較にならないほどのリスクを伴うものになりつつある。世界の企業にとって、国際的な、政治・経済・社会関連の情報収集と分析、正確な情勢判断が、今まで以上に重要になってきている。事業の国際展開の水先案内人としての総合商社の役割はますます大きくなってきている。

以上
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1996年10月1日火曜日

蘇るラテンアメリカ経済と日本

中南米経済が好調である。悪名高かったインフレも落ちつきを見せているし、累積債務問題も一息ついた。80年代からの1人当たりGDPのマイナス成長もプラスに転じた。ずっと続いていた海外への資本流出も終わり、逆に資本が流入するようになった。中南米は、ふたたび「明日の大国」への道を歩みだしたかのようにみえる。背景には、自由化政策と、米国との経済関係の深化がある。自由貿易協定が進み、米国という巨大な市場と、資本と技術へのアクセスが、ぐっと易しくなった。また国内政策が地域協定で縛られることで、これまで外国企業を悩ませてきた朝令暮改的な変動に歯止めがかかったことも大きい。

欧米企業、さらに最近では韓国企業まで、この中南米市場の将来性に着目し、積極的な投資戦略を展開している。しかし日本企業には、まだまだ慎重な姿勢が目立つ。中南米経済の規模はGDPで1.5兆ドルで、日本を除く世界のGDPの7%をしめる。いま注目を集めている東アジアのGDPの合計は1.8兆ドルであり、中南米は東アジアと並ぶ大きな経済地域である。それにもかかわらず日本の貿易総額に占める中南米の比率はわずか4%程度であり、投資残高にしても、金融関連のパナマ、バハマ等を除けば日本の投資残高合計の5%程度にとどまる。

背景には、90年代に進んだ民営化に絡む企業の売却商談に、意思決定に時間がかかる日本企業は迅速・的確に対応できなかったことなどが云われているが、やはり企業風土のギャプは大きい。来年は日本メキシコ移住100周年であり、日本と中南米諸国とは長い交流の歴史がある。それにもかかわらず、まだまだ両者の間には、広くて深い淵がある。

ヘラルド・トリビューンを読んでいると、カラカスで、切り落とした女性の生手首を持って逃げる男を目撃する話が載っていた(IHT、9月18日)。単に指輪を盗むためである。背景には、普通の日本人の理解を超える、固定化され、さらに拡大する貧富の差と、すさまじいまでの人心の荒廃がある。

勿論、中南米の中にも安全な国もある。しかし多くの国では、時計をはめた左手は危ないから運転席の窓から外に出してはならないと教えられる。ちなみに誘拐されそうになった時の車のUターンの方法も教わる。いきなりギアをバックに入れ、ハンドルをいっぱいに切りながら、思いっきりアクセルを踏むのだ。二秒でUターンが完了する。(試す場合は広いところでお願いします)

しかし、こんな恐ろしい話も、米国通と云われる人に話すと「ニューヨークでは別に珍しい話でもなんでもない」とのこと。明らかに社会・文化の面でも、米国は、日本より中南米に近いようだ。なにせ植民地時代からの長くて抜き差しならない関係がある。

日本企業には苦手な、迅速でドライな狩猟型の商慣行も、米国の企業文化である。学生の外国語科目の人気ダントツ一番はスペイン語だ。現在の中南米経済の再生も米国との関係深化のおかげであることは先に述べた。

日本企業でも、北米を拠点にして、現地主導で中南米を攻めるところが出てきている。妥当な判断だろう。蛇の道は蛇という。

(橋本 尚幸) 
 

1996年9月2日月曜日

返還を来年にひかえての香港経済

今度のお正月やすみは、英国統治下の香港を観光する最後の正月となる。来年の7月1日を期して、香港は中国の特別行政区となるからだが、最後の買い物チャンスと思うのか、日本等から香港への観光客が急増している。JTBによると、この夏の香港向け観光客は前年比で2割増とのことだ。しかし中国に返還されても、香港は引き続き高度の自治を有し、その社会制度、経済制度、生活様式を今後50年にわたって維持されることになっている。何もそんなに焦って出かけることもないだろう。

香港の繁栄は中国にとっても非常に重要である。その香港の繁栄は、自由な経済・金融機能が維持されるかどうかにかかっている。これは中国政府も十分に認識しており、だからこそ、香港のステータスは保証すると繰り返し意思表明がなされているのである。本当に大丈夫なのか、不安が残らないわけでもないが、これを云うことは、中国政府の言葉と能力を疑うことにもなり、失礼な話にもなりかねず、信頼する以外ないのである。

昨年、香港の日本商工会議所が実施した調査によると、香港にいる日系企業の85%が今後5年間の香港の事業環境を有望と見ているとのことである。もちろん将来を有望と判断するからこそ企業は香港に残っているわけで、この調査結果はいささか割り引いてみる必要はあるが、それでも大多数の民間ビジネスマンは香港の将来性に、中国政府の政策に信頼を置いていることがはっきりした。

しかし逆に云えば、もし返還後の香港が民間ビジネスマンの期待通りの、自由で繁栄する香港でなくなってしまうならば、期待が高かった分だけ失望感は大きくなってしまうということである。中国に対する民間ビジネスマンの信頼が崩れるということは、香港にとどまらず対中投資全般にも悪影響を与えかねない。中国の経済成長の持続は今後も引き続き外国企業の対中投資が続くかどうかにかかっていることを考えれば、こういった反動はとてもこわい。

どういった場合にビジネスマンが一番失望するかといえば、それは景気が低迷するときである。それがきっかけに企業家の信頼感が悪化し、それがさらに景気を減速させる。香港経済の将来を考える上で、コンフィデンスの問題以上に、香港をめぐる実体経済面での環境変化の動きが重要であろう。

その意味で昨年からの香港経済の減速が気になる。直接の原因となっている民間消費の低迷は、香港返還を前にした消費者の先行き不透明感からくるとの説明がある。そういう理由であれば消費者信頼感さえ回復すれば景気はピックアップすることになるが、よく見てみるとそうでもない。景気の減速は、心理的な要因で起こったものではなく、バブル崩壊以降の逆資産効果、中国経済の減速、香港ドルの実質レートの下落による交易条件の悪化などの具体的な理由に因るものなのである。特に中国本土の景気変動の影響が大きい。

香港と中国の経済の一体化はもう既成の事実である。だから、返還後の香港が繁栄を続けうるかどうかは、香港の問題という以上に、中国経済のパフォーマンス如何ともいえる。中国本土の実体経済の動きに注目したい。

(橋本 尚幸)

1996年8月1日木曜日

アジア経済の持続的成長の条件

アジアの経済成長をリードしてきた輸出の勢いに最近かげりがみられる。中国の上半期の輸出が大きく減少したのをはじめ、韓国・台湾・タイの輸出が伸びを鈍化させている。背景には、最近の円安・ドル高とアジア各国の国内コストの上昇などで、アジア諸国の対日輸出競争力にかげりが出てきたこと、中国の増値税還付問題などがあるが、なんといっても大きいのは、世界的なハイテク産業の生産調整が、域内経済の垂直的統合メカニズムを通じて、アジア各国の輸出に「芋づる式」に悪影響をもたらしていることである。アジア経済の強みのひとつであった域内経済の相互依存度の高さが裏目に出たかたちとなった。

もう二年前になるが、アジア経済の将来性については楽観的な見方が一般的であったなかで、ポール・クルーグマンという経済学者がそれに水をぶっかけた。アジア各国のGDPを労働投入量と資本投入量の二つで要因分解すると、この二つの要因だけでアジア経済の成長は統計的に説明できてしまうといったのである。先進工業国経済では、この二つの要因では説明しきれない部分(残余、全要素生産性)が残るのが普通であり、これは技術進歩に起因するものと考えられている。アジア経済にはこれが存在しないということは、技術進歩が経済発展に貢献するメカニズがないということであり、これはかつてのソ連経済にもみられた現象で、アジア経済の奇跡の成長もやがては限界に突き当たらざるを得ないとの論旨であった。
興味深い分析であったが、アジア各国はこれに強く反発した。曰く、アジアには、かつてのソ連と違って市場メカニズムがちゃんと機能している、外国からの直接投資の受け入れを通じて、機械に一体化された技術の移転がある、アジアのことは欧米人にはわからない等々、やや感情的な反論もあった。

たしかに最近のアジアの諸国には自信がみなぎっている。「もう欧米のお説教は聞きたくない」との声すら聞こえる。このクルーグマンの回帰分析についても、分析手法が普通の人には理解しにくいものであっただけに、結論部分だけをとり上げて議論がなされた。今となっては、これでよかったのかと疑問が残る。われわれに必要だったのはもう少し謙虚にアジア経済の限界、ボトルネックの存在を自覚し、その持続的発展の為にやらねばならぬことを考えることではなかったか。アジア経済のボトルネック要因としては、電力、港湾、輸送などのインフラ問題があることが広く認識されている。本来インフラの整備は各国政府の仕事である。しかし種々の事情があり、最近は「民活インフラ」と称して外国企業にまる投げするケースも増えてきている。

しかし、もっと重要で整備が必要とされるインフラに、社会の制度・システムがある。経済成長は、ある意味では社会的均衡を崩す現象である。その過程で生じてくる無数の摩擦やトラブルに妥当な解を見いだすシステムが、自由市場経済、公正で透明な行政、それに民主主義システムにほかならない。民主主義は経済成長の「条件」なのである。このインフラの建設ばかりは、「まる投げ民活」ではできない。自分でやらねばならない。

(橋本 尚幸) 

1996年7月9日火曜日

日本企業の過去の巨額損失事件について

1996.7.9
 

過去の企業の巨額損失事件に関し、事件の概要及び事件発生後に各社で講じられた対策・措置について整理してみると、不祥事の内容・規模については、それぞれに違いはあるものの、その基本的な性格においては、すべてのケースに多くの共通項が見いだせるように思います。

(事件発生の背景)
まず共通していえることは、これらの事件の背景に「コモンセンスの不在」があったという点です。社内のある特定部門や個人に権限が集中していたこと、その「専門家」の判断に対する別の視点からの批判を許さない雰囲気があったこと、ある種の「聖域」が会社のなかで形成されていたことが共通してみられます。専門家の判断/別の視点からの異論/二つを勘案した上での経営判断という、風通しがよい意思決定の方法が、すなわちコモンセンスを生かす経営が望まれているように思います。

次に挙げられる特徴は、ファイアーウオール(防火壁)が欠如していたという点です。ルール違反はもちろんあってはならないことですが、たったひとつのルール違反が、部門間、業務間のファイアーウオールが機能していなかったために、会社全体の屋台骨を揺るがすようなことにつながっています。特に総合商社のような業務内容が広範に広がりがある会社組織においては、ひとつの部門での判断間違いやチョンボが、絶対に会社全体の命運を左右させないように、有効なファイアーウオールを社内に構築することが喫緊の課題になっているように思います。

(事件発生後の対策)
さて事件発生後の対策・措置についてでありますが、各社のとった措置は、大きく三つに分類できます。すなわち、1)ダメージの修復策、2)同様の事件の再発防止策としてのチェック機能の整備、3)「けじめ」の儀式、の三つであります。もちろん、とられた措置については複数の分類にまたがるものもありますが、以下、順に整理してみたいと思います。

1)ダメージの修復策
発生した損失は、何らかの方法で穴埋めしなければならず、その負担分を今後のオペレーションのなかで取り戻して行くために、不採算部門の縮小・切り捨てや、従業員数の削減などの固定費の削減策(リストラ)がとられています。
ネットワースの何分の一かに相当する巨額の損失が発生した以上、企業戦略を立てる上でのリスク許容度が小さくなるわけで、ある程度の経営姿勢の保守化がみられることはやむを得ないところです。しかし、この場合でも、企業にとっての「コア機能」の弱体化につながるような消極策は、企業の長期的発展力を抑制することになり避けるべきであります。何が当該企業にとっての「コア機能」で何がそうでないか、そのへんを日頃から議論してよく詰めておく必要があるように思います。

2)再発防止策、チェック機能の整備について
再発防止策、社内のチェック機能を強化策については、各社ともにいろいろの工夫をしています。事故を起こさない、かりに事故が起こっても損失の広がりを一定の範囲に留めるという「平面的な」ファイアーウオールに加えて、一部の会社では損失・リスクを先延ばしさせないための「時間的な」ファイアーウオールが工夫されており、注目されます。

ただ、為替や商品の先物取引についての損失繰り越し防止策に加えて、BOT/BOO方式の契約が一般化するなかで、長期化するカントリーリスクへの「時間的ファイアーウオール」も大きな課題であると思います。(機材の輸出船積み時点で一挙に巨額の売上と利益は計上されるのですが、契約リスクは数十年先にわたり延々と残る。)このような取引がどんどん増えている総合商社にとっては、どんなファイアーウオールを会社組織に制度的にビルトインできるかが、大きな検討課題です。

3)「けじめ」について
一従業員としては議論を避けたいテーマでありますが、当然のこととして責任問題にケリをつけることは大切であり、各社ともきびしい処分を発表しています。
これは「規則に照らし合わせて」とかいう以前に、もっと重要な点でありますが、連日連夜、さまざまな苦労をしながら、こつこつと利益を追求している(関係会社の従業員も含めた)社員全員の納得を得るための、すなわち従業員のモラルの維持のために必要な「儀式」としての性格もあるようです。
「けじめ」の対象は「個人」の場合と「組織」の場合がありますが、部門の整理統合、縮小、閉鎖と言ったリストラ措置は「組織」を対象とした「けじめ」とも考えられます。

(結論的に)
巨額損失事件とは、ある特定部門の取引に包含されるリスクが、ある特定の部門の体力を超えて大きくなっていることに気がつかず、突然に損失が表面化する事で生じる問題と考えることが出来ます。
それに対する根本的な対策は、各営業本部の負担できるリスク総額の上限が物理的に設定されて、それが貫徹される組織・制度の導入であり、究極的には分社化(持株会社化)ではないでしょうか。
もちろん、会社として、場合によっては、特定のビジネスについて部門の体力を超えたリスクをとるとの経営判断がありうることは当然でありますが、分社化していても本社の保証でそれは可能であり、それでリスクがより透明化されることにもなります。

含み資産と株主資本を、各事業部門が「大鍋のめし」のように野放図に当てできるという経営は透明性に欠けます。 巨額損失を出した英国名門企業ベアリング社を、バンク・オブ・イングランドは公的資金で救済することなく、あえて倒産させました。どんなチョンボをしても組織は大丈夫というのではなく、ひとつ間違うと部門の存続が危うくなるとの認識と実態こそが、本当にビルトインされたチェック機能・ファイアーウオールであると思います。
以上

1996年7月1日月曜日

グローバル化「問題」の克服に向けて

世界経済のグローバル化は多くの恩恵をもたらすと同時に、様々な問題もわれわれに突きつけている。これはすぐれて今日的問題であり、これをリヨン・サミットの主要テーマに設定したフランスのシラク大統領の見識はさすがであった。もとより議論して簡単に結論のでる問題ではなく、今回のサミットでは問題の存在の確認にとどまった。しかしこの問題は確実に今後の世界の中長期的な課題となっていくように思う。

ものには全て両面がある。グローバル化は大きな成長のチャンスである。しかしそれが引き起こす世界規模の競争激化が、勝者と敗者を作りだし、国際的、国内的に、いわゆる二極化現象を引き起こしているのである。

アメリカでは富裕層の実質所得が一貫して増大するなかで、貧困層では実質所得が逆に低下を続けるという二極分化が進んでいる。

ヨーロッパでは国内勤労者の生活水準を守るべく社会福祉制度を整備してきたが、それが逆にヨーロッパの失業率を極端に高めてしまった。

日本では悪名高き閉鎖的で不透明な経済システムが、内外価格差を温存させ、産業構造の調整を先のばしにしてきたが、痛みが本格的に表面化するのはもう時間の問題であろう。日本の産業競争力の強さの秘密は、ムラ的な社会的一体感にあったわけで、もしグローバル化が社会の二極分化をもたらせば、日本の産業競争力を、その根本的なところから崩してしまうことにもなりかねない。

アジアにおいても例外ではない。急速に進むグローバル化と経済発展が、伝統的な社会秩序そのものを崩壊させるのではないかとの心配が高まってきている。

さらに経済発展を続ける新興工業国と開発から完全に取り残されてしまった最貧国との間の格差という国際間二極分化の問題も生じている。世界中に、将来に対する漠然とした不安が広がってきているのだ。
一部の先進諸国には、発展途上国と先進諸国の間で労働条件などを平準化して(例えば児童労働の禁止など)、途上国の野放図な輸出に歯止めをかけ、先進国での調整の痛みをやわらげようとする考え方がある。

それに対しては、地域間の経済的、制度的「格差」こそが貿易活動と海外投資活動の原動力であり、グローバル化のデメリットはグローバル化のメリットを追究する過程で、いわば拡大均衡のなかで吸収していくべきであるとする考え方もある。

ひとつ言えることは、グローバル化のメリットとデメリットの両側面を認識し、バランスシートで考えなければならないと言うことだろう。その上でデメリットをいかに極小化するか、具体的に個別問題を検討することが重要になっている。

このようなグローバル化のメリット・デメリットの両面を企業レベルで考えるとどうであろうか。国家とは異なり、企業は地理的な制約を受けない。世界展開を実現している企業では従業員の国籍もきわめて多様である。企業は本質的にコスモポリタンであり、企業にとってはグローバル化はメリット以外のなにものでもないように見える。

グローバル化で企業のビジネスの舞台が大きく拡大し、情報ハイテク化で飛躍的な意志決定のスピードアップがもたらされ、チャンスは大きく膨らんでいる。その一方で、グローバル化されたビジネスは、カントリーリスクをはじめとする、かつてないほどに多様で巨大なリスクを包含するようになっていることも忘れてはならないだろう。チャンスとリスクのバランスシートで考えるリスクマネジメントが大切な時代になっている。

(橋本 尚幸) 
 

1996年6月3日月曜日

日本型経済システムの源流に戻って考える

現代日本の経済システムの是非が、これほどまでに問い直されたことは、いままでになかったように思う。日本人は自信を失い、将来に確信をもてず、考え迷っているように見える。

先が見えない不透明な時代であればこそ、まずその原点に帰って、おのれのルーツを確かめてみよう。行き詰まりを見せているような、この日本型と言われている経済システムの、そもそもの起源は何処にあったのか。

意外なことに、現代日本の経済システムの起源はどうも「満州国」にあったらしい。元はと言えば、かの関東軍主任参謀の石原莞爾である。彼は自分の総力戦体制構想の実現のためには産業の育成が喫緊の課題と考え、当時めざましい経済躍進を続けていたソ連システムに倣って、満鉄の調査部に計画経済システムを立案させたのであった(小林英夫『「日本株式会社」を創った男』)。こうして立案された生産力拡充計画は、やがて商工省の辣腕官僚、岸信介によって満州国で現実のものとなる。さらに岸は、そのシステムを日本本土にまで移植する。

それまでの明治大正期の日本の経済システムは、どちらかといえば現在のアングロサクソン型に近い自由主義、市場経済システムであった(岡崎哲二『現代日本経済システムの源流』)。戦争目的のために強引になされた一種の社会主義的な改革は、敗戦直後の混乱のなかで、農地解放と財閥解体というさらにドラスティックな措置で総仕上げがなされることになる。こうして戦後の日本型経済システムの基本的な性格が確立されていくのである。

このあたりの経緯を調べていくと興味は尽きないが、一国の経済システムのラディカルな変更とは、並大抵のことではないことがよくわかる。既得権益の抵抗はきわめて強いのである。戦争という非常事態と独裁的な軍部の強権ではじめて可能になったわけだが、それでも当時の商工次官であった岸信介は当時の商工大臣小林一三から「アカ」呼ばわりされて一時は更迭されたほどであった。

経済システムとは無数の多くの制度の歴史的な累積であり、一つの制度は必ず他の制度を前提として成り立っている(制度補完性と呼ばれる)。よって部分的にひとつの制度に手を加えてもシステム全体には、あたかも怪我をした人間の体のように元の状態に戻そうとする強い復元力が働くのである(システム慣性という)。

日本型システムの改革が必要なことは論を待たない。しかし、このような制度間どうしの補完性を考慮に入れる場合、経済システムの改革は「ビッグ・バン」ではなく、時間をかけて徐々にシステムを変形させて行くやり方しかないように思う。特定の方向に常に一定の力を継続的に加えることで、システムを構成する無数の制度をそれぞれに少しずつ変形させてゆくことができる。人間の体でいえば歯列矯正のやり方である。

日本は米国に比べ大きく立ち遅れてしまった、そんな悠長なことでは間に合わないとの意見もある。しかし、立ち遅れのキャッチアップなら日本の最も得意とするところではなかったのか。いまの問題は、システムの是非というよりは、システムの目標設定ができず、そのため産業の潜在力が十分に発揮できないことにあるように思う。大きなビジョンの提示が、政治のリーダーシップが望まれている。

(橋本 尚幸) 
 

1996年5月2日木曜日

商社と情報と調査部の役割

今月からこの巻頭コラムを担当することになった。第一回目にあたり、商社の情報機能と調査部の役割について考えてみたい。

企業が製造し販売する商品・サービスについては、プロダクト・ライフ・サイクルがあることがよく知られている。どんな商品でも成熟し、やがては衰退する。だから企業は継続的に新商品を開発し、決して十年一日、同じものを売り続けることはない。一方で、これだけは絶対手放さないというその企業にとってのコア商品もある。

商社についてはどうだろうか。商社の「商品」とは、この場合、その取扱商品ではなく、顧客(取引先)に提供するサービス、商社機能と考えると、やはりこれについてもプロダクト・ライフ・サイクルがあることがわかる。戦前、戦後の歴史のなかで商社はそれぞれの時代のニーズに応じて常に新しい機能を開発し、また機能の高度化を図り、数々の危機を乗り越え発展してきた。こうした機能の積み重ねが今日の商社のサービスの多様性(プロダクト・ミックス)に他ならない。

その多様なサービスのなかで、廃ることなく一貫して重視されてきたものがある。それは「情報」である。情報は商社活動の原点であり商社機能のコア部分を占めるとさえいえる。古来、商人はつねに情報と文化の伝搬者であった。

しかし、現代は情報氾濫の時代にである。インターネットなどを通じてきわめて多量の情報がふんだんに流通する。この様な情報インフレのなかで、総合商社の情報機能をいかに差別化し、取引先に評価してもらうか、これはすべての商社マンが等しく感じている問題意識ではないか。 

一つの差別化の方向は「足で稼ぐ情報」への特化である。情報が氾濫し、誰もがどんな情報も簡単に入手できる時代であるからこそ、足で歩いて人に会い、フェイス・ツー・フェイス話して手に入れた情報の価値が高まるのである。このような足で稼ぐ情報活動はわれわれ商社マンが最も得意とする分野であり、今後ともこの種の情報活動にわれわれの生きる道があるように思える。

ただここで忘れてはならないことは、「足で稼ぐ情報」は、基礎的な文献情報をきっちり押さえてはじめて生きてくるということであろう。次のような話がある。

戦前の日本で活躍したソ連のスパイでゾルゲという人物がいた。「歴史を変えたスパイ」とまで称されて、その情報力に高い評価を受けている諜報員であるが、逮捕されてから法廷で一貫して無実を主張した。自分が入手した情報はすべて公開情報であるというのがその理由であった。実際、ゾルゲはその諜報活動のほとんどを公開されている文献情報に頼ったことが明らかになっている。九割九分まで公開情報で押さえ、最後の最後のところだけを足で確かめた。

足腰の強い一騎当千の商社マンが無数にいる商社にあればこそ、それを補完する地道な公開情報の収集と分析活動が重要になる。ビジネスとアカデミズムを結び、舵手や漕ぎ手から声の届く距離にいて、まわりの状況をわかりやすく皆に伝える檣頭(マストヘッド)クルーの役割を、調査部は果たして行きたいと思う。

(橋本) 

1996年3月1日金曜日

書評 『日本株式会社を創った男 宮崎正義の生涯』

1996/3


(財)海外投融資情報財団「海外投融資」1996/3号掲載
 
 日本株式会社を創った男
   ー宮崎正義の生涯ー
 発行日 1995/2  (254頁)
 価格 2,300円 本体2,233円
 著者 駒沢大学教授 小林英夫 こばやし・ひでお
 発行所 小学館


先が見えにくい不透明な時代には、おぼつかない足下をかためる意味でも、おのれのルーツを確かめたくなるものだ。行き詰まりを見せているかのような、この日本型といわれる経済システムの、そもそもの起源はいったいどのようなものであったのか。

著者は、現代日本経済システムの源流は昭和一〇年代に遡ると考える研究者グループにする歴史家である。このいわゆる四〇年体制論についてはすでに多くの分析が書かれている。でも具体的に誰が、どこで、このシステムを考えだし、創り上げたのか。それについてはまだあまり知られていなかったように思う。

その起源は満洲国にあり、このシステムを考え出したしたのは、宮崎正義という人物であったという。本書は、今日までほとんど知られることのなかったこの宮崎正義という人間に焦点をあてて、彼の生涯と日本型経済システムの形成における彼の果たした役割と意味を、豊富なデーターをもとに明らかにしたものである。

宮崎正義とは満鉄の調査部員である。金沢の貧しい氏族の三男として生まれるが石川県の官費留学生としてペテルスブルグ大学に学ぶ。その時ロシア革命を目のあたりにする経験もした。帰国後、満鉄に入社し調査部でソ連情勢を一貫して研究し、計画統制経済の分野で第一人者となるのである。

当時のソ連は計画経済のもとに脅威的なスピードで国力の増強を押し進めていた。関東軍で指導的立場にあった石原莞爾は、当面はソ連の脅威に備える意味で、また長期的には彼の仮説である世界最終戦争に備えるために、経済力の充実が急務と考える。しかし経済のことは軍人である石原には手が出せない。統制経済に詳しい宮崎を経済政策ブレーンにむかえて官僚主導型の経済統制システム立案させるのである。

�このようにして立案された統制経済システムは満洲国でまず具体化されるが、やがて日・満経済をグローバルに包含するシステムに拡大される。さらに、この統制システム実施を強力に推進した岸信介、椎名悦三郎植村甲午郎などの人物が戦後も継続して日本�経済における影響力を維持したことにより、ステムは敗戦後も生き残り、今日の日本型システムへと成長してゆくのである。本書では、この過程が綿密に具体的に明らかにされる。自由経済主義者で財界出身の政治家小林一三が、計画経済論者で官僚の岸信介をするくだりなど、戦後、岸信介が保守反動の代名詞とされたこともあっただけにまことに面白い。

日本型経済システムは、いま節目の時を迎えている。改革に頑固に抵抗するこの頑強そのもののように見えるシステムも、実はひとりの人間の立案によるものだったと云う事実に、今さらながら驚かされるのである。

宮崎は当時においてもっとも勢いのあったソ連経済からその長所を学び、当時においては革新的といえる斬新な_日本型システムを創案した。グローバル化が進み自由競争型経済の強さが顕著に目立つ現代において、彼がもし生きて居れば、どんな新システムを立案をするのであろうか。